主にあるみなさん
本日は葬儀で東京に行きますので、早く送ります。
今週をどうお過ごしでしたか。時代は大きく動き、変化し、ますます、終わりが近づくと感じる出来事ばかりです。先が見えない不安の中を日々を暮らしているのではないでしょうか。たとえ明日がおわりであっても今日、私はりんごの苗を植えるということを忘れないで時代を生きていきたいなと思っています。
今週は、月曜日には初任地の別府での園長研修会に出かけました。「保育」ということを再度、自分自身に問い直さなければならないような講演会でした。夜は一緒に歩んだ信徒さんらと食事をし、癒されました。みんな歳をとったのは当たり前ですが、語る時、初めで出会った若い時代のままのようでした。癒しの時でした。
次の日は久大線で早く別府から久留米に帰り、幼稚園に出て、午後から大学病院で胆管の内視鏡検査、検査が終わり幼稚園に帰りました。園長の仕事は出来るだけ園にいるということかもしれませんね。
水曜日は職員会議などあり、議事、議事録を久しぶりに作っています。前幼稚園では主任、園長補佐が全部してくれていましたことを当たり前のように思っていました。支えられてきたと感謝でいっぱいです。しかし、おかげでボケないで済みます。議事録はAIを使うと正確に作ってくれると聞いています。勉強をしてみたく思っています。
木曜日は保育園での聖書の学び、子ども礼拝でした。妻と一緒に喧嘩しつつ行き、そうだ、づっと犬も食わずというこれを続けて来たと思います。口論しながら幸せを感じています。今日、グーグルの機能を使って花の名前などを調べられることを知り、アナログ老人として大感動でした。午後から教会に行き、草取り、主日の礼拝の準備でした。明日は、幼稚園へ行き、17時半の飛行機で東京に葬儀のために出かけます。人は「先生は、よく動く」と言いますし、「引退と言いますが先生には似つかわしくない文字ですね」と言われます。自分がちっともそう感じてなくごく普通にうごいてしまいます。教会の、幼稚園の仕事も、病気も、どこかで一生懸命、楽しんでいるように自分自身感じているからでしょうね。「一生懸命、楽しく」はブラジル在住時代に身につけたのかもしれません。
先の見えない不安な時代、一生懸命、その時、その場を楽しく生きるという事もいいかもしれませんね。
来る週も皆さんの日々が主の平和にあって楽しく、一生懸命生きれますように。
竹田孝一
新風のように5月18日通信